最近在读一些日本历史相关资料,看到一张日本古代的官位表。其中就有《记录的地平线》中,斋宫(斎宮トウリ)授予濡羽(濡羽)以及城惠(シロエ)这两人的称号。于是就来试着比较一下,找找看这俩称号的位置和官员职务。
当然,需要说明的是,尽管从官员名字以及整体部门划分上来说,《记录的地平线》中弧形列岛大和上西方的〈大地人〉社会行政组织——威斯特兰迪,与日本古代律令制国家的行政设置比较相似,但毕竟前者是橙乃所创作的虚构小说,因此不能想当然地以为就是现实世界中日本的古代官位制度。所以这算是一次「跨界」的娱乐性的对比。
先来确定一下斋宫向此二人所授予的称号。
在《记录的地平线》TRPG数据库词条「斎宮トウリ」的最后就提到:「濡羽に「納言」、シロエに「外記」の名を与え、いずれ二人を従えてヤマト統一の夢を見るが、その夢は叶うのだろうか?」也就说,斋宫将「納言」这一称号授予濡羽,而将「外記」这一称号授予城惠。我记得在小说里,也提到西之纳言濡羽与东之外记城惠的说法。
下面来翻一翻现实世界中日本古代的律令制官僚制度的官位阶级表:
图「官位相当表」引用自《日本史必携》( P244-245 ,吉川弘文館)
从表中可以读到,「大納言」官位是正三位,「少納言」是従五位,「大外記」是正七位上,「少外記」则是従七位上。位的数字越小,官位则越高。而这四个者的官司都属于太政官。
可见,「納言」是要比「外記」高一些的。
然后来查查辞典,看看这两种官职的职务。这里查的是 JapanKnowledge 版《国史大辞典》。
对于「納言」词条,词典中有如下解释:
「天武朝の太政官を構成する官。納言の官名は中国に由来し、『尚書』舜典には帝命の出納を掌る官としてみえ、隋・唐では詔勅・奏抄の審査を行う門下省の長官、侍中を一時期納言と称した。天武朝に納言であったことが確認できるのは舎人王と布勢(阿倍)御主人の二人のみであるが、ほかに中臣大嶋・巨勢黒麻呂・小野毛人の三人も納言であった可能性が強い。天武朝には大臣が一人も任命されず、太政官は納言のみで構成されていたようであり、また納言には令制の五位相当の冠位を帯びるものもみられることなどから、令制の大・中納言などとは異なり、納言には執政官としての権能がなく、侍奉官にすぎなかったと推定する見解が有力視されている。」(引用后略)
总之,从这里可以看出「納言」源于《尚书》,算是为皇帝/天皇身达指令的。当然,根据地域不同、时代不同乃至具体的人员不同,同一名称的职位也肯定多多少少会有变化调整。本词典中也提到了有官位为五位的「納言」。
而同在 JapanKnowledge 版《国史大辞典》中,「外記」的解释是:
「令制官職の一つ。唐名を「外史」という。太政官の少納言の下にあって、中務省の内記の作成した詔書を考勘し、太政官の奏文を勘造するのをはじめ、上卿の指揮のもとで朝儀・公事を奉行し、その記録にあたり、先例を調査上申し、さらに人事関係の手続を分担処理した要職である。大・少外記各二人を定員とし、大外記の相当位は正七位上、少外記は従七位上であったが、その職務の重要性と繁劇を理由として、延暦二年(七八三)五月十一日の格をもって大外記は正六位上、少外記は正七位上の官に昇格した。」(引用后略)
可见,这里明确提及,在日本的律令体制下,「外記」是从属于「少納言」的,官位相当于六、七位。负责的事务则是文书处理、人事管理等等。嗯,好想蛮符合《记录的地平线》中副职业〈抄写师〉的城惠的?
从斋宫所授给二人的称号来看,他对濡羽以及对城惠的亲疏程度一目了然了。
最后,再来把视线稍微移到上表「官位相当表」中「省」那一行。可以看到,在「省」下面,先分为了两大类,一类是「中務」,另一类则包括了「式部、治部、民部、兵部、刑部、大蔵、宮内」等各个部门。
再来参考《记录的地平线》TRPG游戏补充资料《セルデシア・ガゼット》第 21 号(2016.Aug) P28 ,《ヤマト風土記:「特別編 ヤマトの村、町、都市」》一文中所展示《记录的地平线》中神圣皇国威斯特兰迪隶属于皇王(现在为斋宫)下的几个部门:
中務省、大蔵省、宮内省、刑部省、式部省、民部省、兵部省、鬼神省、治部省。
从中可以看到,除了「鬼神省」外,其他几个部门都是现实世界中日本古代律令制中「省」下的官位。而那个「鬼神省」,则是「冒険者との連携を支援するため必要な手続きなどを管理する」,即负责管理为了能够与冒险者进行合作而必须进行的手续等事务。只是这个名字嘛……威斯特兰迪的〈大地人〉到底是怎么理解〈冒险者〉的呀?
本次比照考察就到这里。